with age 92歳の母のぼちぼち介護日記

母の介護を通して、素敵な歳の重ね方を学びます。

母のおせち料理

昨日母と、母のお正月の一人用おせちを買いに行きました。

芦屋大丸の『西大和さえき』で、とても美味しそうな一段のお重があり、

それを予約しました。

 

www.gourmetjapan.co.jp

(👆ここに載っている品を、少しづつ入れた一人用が店頭で予約出来ました)

 

それと我が家用の数の子を、母につけてもらおうと買いました。

今年は、お正月の用意はこれでおしまいです。

我が家も、数の子岸澤屋の黒豆、とり松のおぼろの入ったばら寿司を作って

最後にお雑煮を食べて、それで良しという事になりました。

 

寂しいですが、来年に今年の分も出来る様に、母には元気でいてもらいましょう。

 

 

家に帰り、母が数の子のつけ汁をお料理本で確認しようと、

昔から使っていた本を開けると、このメモが出てきました。

 

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昭和42年12月とあります。1967年です。姉は12歳。私は10歳です。

私達が戦力になる年ごろではありません。

唯一私が好んで手伝っていたのは、菊花かぶらを作るのに、

お箸を2本引いて、包丁が下までいかないようにすることぐらいでした。

 

すごいですね。母達の年代の主婦は。これだけの品を一人で作っていたのですから。

「3日前から数の子をつけ始めたりしていたからねぇ。忙しかったわよ」と、

母は言います。

 

「何か、1㎏買ってたのよね?なんだったかしら?」と母は考えています。

母は忘れたようですが、それは、肉団子用の合挽き肉です。

 

                                  昨日のブログの今年のおせち👇にも入っていたでしょ。

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ぶりのつけ焼きと肉団子です

我が家は、この母の作る肉団子が大好きなのです。油であげて、

甘酢出汁を絡めているのです。

「ひき肉が安かったからね」と、母は笑います。

 

 そして、もう一つの定番が👆この『ぶりのつけ焼き』です。

 これが実家の、年末の大行事だったのです。

 

 父はこの頃、宮崎と神戸で旅行代理店を経営していて、

いつ頃からかは覚えていませんが、

宮崎から神戸への年末最終便のカーフェリーで、

🚤フェリー会社から、お歳暮の🐟ぶり1匹運ばれて来るのです。

そのぶりを、父と私は神戸のフェリー乗り場まで受け取りに行き、

父が、家のベランダでそれをさばくのです。 

それを切り身にして、母がつけ焼きにしていました。

 

今は、ぶりを柵で買ってきて、小さめに切り、つけ焼きにします。

大きめに切ってしまうと、私達女性陣が落ち着いて食べようとすると、

もうお重の中には残っていないのです。皆大好きな1品なのです。

 

母は、自分の書いたメモをまじまじと見ながら、

「この頃は私、字が上手いわねぇ。今はもうこんなふうに書けないわ」と、

嘆きます。

私から見るとそんなことはないし、ケアマネさんにも

「筆圧もちゃんと入って、しっかり書けていますよ」と言って頂いています。

でも、自分からすると納得いかないのでしょうね。

 

字が思うように書けなかったり、瓶やペットボトルが開けられなかったり、

タオルをしっかり絞れなかったり、母には情けないことが多くなりました。

自分のおせちのメモを見ながら母は何を思うのでしょうね。

 

私は、母のメモを見ながら、10歳の私は何を考えていたのだろうと記憶をたどります。

はっきりとはわかりませんが、ベランダでぶりを捌く父と、

台所で忙しく動く母を見ながら、きっと幸せな時間を過ごしていただろうと

思います。

 

 

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