with age 92歳の母のぼちぼち介護日記

母の介護を通して、素敵な歳の重ね方を学びます。

101回目の誕生日 前日編

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明日、2021年1月11日は私の父の101回目の誕生日です。

父は2013年に他界していますので、正確には『生きていれば』です。

父の事は以前ブログに書きました。

withtheage.hatenablog.com


もう一つ父らしいエピソードをここに書いて、
明日、母に読んでもらおうと思います。

👆のブログが父が亡くなってからの事。
そして今、書こうとしているのが、亡くなる日の事です。

「そんなんしか俺のエピソードないのか😠」と、父に怒られそうですが、
私はこの話を友人にもよくします。

父の事をよく知る私の学生時代からの友人は、私の父らしいと言ってくれます。


父が入院して3か月近くがたち、もう意識もはっきとしなくなっていました。
担当医からは、そんなにすぐ逝ってしまうとは聞いてはいませんでしたが、
私は「そろそろ逝っちゃうのかなぁ」と心のどこかで思っていました。

そんな2013年5月18日、その日は日曜日でした。

その日の早朝、ボランティアで2週間海外に行っていた息子が帰国しました。
出かける前、「ジーちゃん、俺が帰ってくるまで死ぬなよ😁!」と
父を笑わせて出て行きました。

息子は空港から、病院へやって来ました。

そして昼過ぎ、宮崎に住む孫が来てくれました。

それと時を同じくして、大分に住む父の甥っ子で医師である、
私達姉妹が兄のように頼りにしているHさんが、
忙しい仕事の合間を縫って父に会いに来てくれました。

彼は、日曜日で担当医が休みだったので、(おそらく当直の)若い医師に挨拶をして、
父の病状を聞いてくれて、病室に入ると心電図のモニターをじっと見ていました。


特に母が連絡して、来てもらったわけではないのに、
病室に母、姉、孫2人、甥っ子と私が揃いました。
父の大切なもう一人の孫、
姉の息子は、その1週間前に東京からお見舞いに来てくれていました。


お昼を過ぎていて、皆昼食を食べていなかったので、母が、
「近くに焼肉屋さんがあったから、皆で食べてらっしゃい。
 お父さんには、私が付いていますから」と皆に出かけるように促しました。

「それでは…」と皆が腰を上げた瞬間心電図モニターが鳴り出したのです。

すぐに、若い医師と看護師さん一人が病室に入ってきました。

その後の事はあまり覚えていませんが、看護師さんが、
「お父さんに聞こえていますから声をかけてあげて下さい」と言って下さいました。

延命処置はしないように、生前父は医師に伝えていました。

どのくらい時間が経ったのか分かりませんが、最後はHさんが父の脈を取り、
母に向かって「おばちゃんもう良いね」と言っていたのを覚えています。

多分Hさんは、医師に話を聞き、病室に入って心電図のモニターを見た時から、
父が近く逝ってしまうのが分かっていたのでしょう。

父は幼少より可愛がった甥っ子に最後の脈をとってもらい、
大好きな家族に囲まれて、人生を静かに終えました。


私はこの日の事をいつもこう思います。

父は焼肉を食べに行こうとした私達に、
「おいおい!お前たちがいない間にお迎えが来たらどうするんだ!
 せっかく、皆が集まるまで頑張ってやったんだぞ!」
慌ててブザーを鳴らしたんだと思います。

それに、父はこの日5月18日に逝こうと決めていたと思います。

その日は、父と母にとってかけがえのない人の命日でもありました。

きっと、年老いていく母が何度もお墓参りをするのは大変だろうと、
気遣ったのだと思います。

前出の『千の風になって』が、最後の最後まで父らしくあったなら、
その少し前、『千の風になる少し前』も、父らしかったと思います。

明日これを読む母はきっと、
「そうだったかしらねェ…覚えてないわね…」と言うでしょうね^_^;


では、1981年神戸のポートピアランドで私が撮った61歳の父の写真を見ながら、
明日母と、父の101回目の誕生日を祝いたいと思います。

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