母と私の会話の中で、母が見つけると、必ず同じ会話に進んでいく物があります。
私達60代の青春時代ちょっと流行ったネックレスです。
丁度その頃、父と母がニューヨークへ行き、お土産に買ってきてくれました。
このネックレスを私が付けていると、毎回同じ会話が進みます。
「良いネックレスねぇ」
「お父さんとお母さんの、ニューヨークのお土産だよ」
「そうそう!お母さんね、15か国海外旅行しているの😊」
父は当時、JTBの代理店をしていて、海外旅行の催行人数が足りないと、
母に行かしていたのです。
ですので、北米やヨーロッパは周遊旅行が多く、それぞれの国の印象は乏しいようです。
母の記憶にあるのは、モノにまつわる、「これはどこで買った」とか、
有名な、「メトロポリタンや、ルーブル美術館へ行った。
ロマンティック街道も行った」など、大まかなものしかありません。
それもほぼ一人で参加させられていたので、写真も集合写真しかなく、
15か国行ったという記憶ははっきりしていますが、
要所要所の記憶はとても曖昧です。
ですが、私達娘と行った2つの旅行は写真があるので、
それを眺めながら、「この時はこうだったね🤗」と回想します。
その一つ、2006年の父の退職祝いのハワイ旅行です。
もう15年も前になるんですね( ..)φ
父にとっては、生涯最後の海外旅行になりました。
母にとっては、父との最後の海外旅行です。
母は忘れていると思いますが、娘だけではなく、
青年になった孫二人に守られての旅行は、さぞかし心強かったと思います。
今の母は写真を見ると、「あら?お父さんの着てるアロハどうしたっけ…🙄」とか、
「もう海外旅行は行けないわねぇ😔」の繰り返しです。
そうですねぇ…去年の今頃は、私は息子の赴任先のフィリッピンへ
何とか母を連れて行きたかったのですが、もう無理ですかねぇ…
だとすると、母の生涯最後の海外旅行は2014年母86歳のシンガポール旅行になります。
父が亡くなった次の年、姉と私達夫婦4人旅でした。
この旅行記は又いつか書きたいと思います。
ちょっとおまけ備忘録です。
どうです。写真だけ見ると車椅子を押してお買い物する、
じいちゃん孝行な孫達でしょ。
でも(-_-メ)実際は、「僕たちがじいちゃんの面倒見るから、
お母さんたちは好きなところ行っていいよ」と言いながら父を連れ出し、
車椅子に乗せられた自由のない父を、
自分たちの行きたいお店に連れて行って、欲しいものを買わして、
それを車椅子に乗った父に持たしている。悪ガキたちです。
今写真を拡大してみると、車椅子のハンドルにも、大きな紙袋がぶら下げてありますね。
なんぼほど父に買わしたんでしょうね(; ・`д・´)
それでも、帰国後父の書いた旅行記は最後こう締めくくられていました。