母と接していると、良く思うことがあります。
母のような高齢者の接し方は、幼児期の子育てに似ているという事です。
・「早くしなさい」と言わない。出来るまでじっと待つ。
・できる事は自分でしてもらう。なるべく手をださずに見守る。
・できないことを叱るのではなく、できたことを褒めてあげる。
まるで同じですよね。
けれども、決定的に違うのは、
子育てにおいてこれらは、成長のため。開かれる未来に向かっています。
けれど母達にとっては、現状維持のため。
閉じられていく未来へ向かうスピードを少しでも遅らせるためなのです。
先日考えさせられる事がありました。
今週の月曜日、ケアマネージャーさんの訪問の日でした。
コロナ禍の中、前回と同じように玄関先での母との対面になりました。
2,3母に質問し、「お変わりがないようなので帰りますね」と言うケアマネさんに、
私は、「狭い玄関で靴の脱ぎ着を、立ったままで、
玄関先に置かれたシルバーカーのハンドルを持ってしていて危ないので、
今の内に靴箱をどけて、椅子と手すりを付けたいのですが、介護保険を使えますか?」と聞きました。
ケアマネさんは、「使えますが、今それで出来ているなら、
やれることはそのままの方が良いのではありませんか⁉」と言われました。
ケアマネさんのおっしゃることもわかります。
ですが、できなくなる時が私の目の前であったり、じわじわ来るなら良いのですが、
それが突然来て、できなくなる時=転んだ時になったらどうしようと思うのです。
『転ばぬ先の杖』は、母のためにならないのでしょうか?
母の希望は、出来る限り今の家で一人で暮らしていく事です。
その願いを少しでも長く叶えるべく、私は母の家に手伝いに来ます。
母は自分で出来ていると思っていても、出来ていないことが多々あり、
やはり、先先転びそうな石を私は拾っています。
子育てであれば、命に別条がなければ、むしろ転んだ方が
後々良いこともたくさんあります。
息子もそう思いながら育てました。
そのお陰⁈か(^^ゞ早い内から親を頼ることを諦めていました。
母の事は「少しやりすぎているのかなぁ…」と思う時もありますが、
このケアマネさんの提案は意外でずっともやっとしています"(-""-)"・・・
高齢者への『転ばぬ先の杖』・・・ちょっと考えさせられます。