with age 92歳の母のぼちぼち介護日記

母の介護を通して、素敵な歳の重ね方を学びます。

千の風になって 

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2012.04.02 宮崎にて

私がブログを始めて丁度1か月がたちました。

今日は、1か月を記念して⁉私の父の事を書きます。



私の父は、大正9年宮崎県生まれ、2013年5月
94歳で他界しました。

一代で会社を興し、85歳で引退し、
その時、残った社員を関連会社に引き受けてもらうために、
全ての財産を惜しみなく、その会社に譲りました。
(晩年「あれは渡さなきゃ良かった」とか、ぼやいていましたけどね(;'∀'))

父が残したのは、母にかけていた厚生年金ぐらいですが、
そのお陰で、母は92歳の女性としては多額の年金を今も貰っています。

「あなたのお父さんはどんな人ですか?」と聞かれたら、
「スマートに潔く生きた人」と言います。

80代、一緒にPlayする友人がいなくなるまでGolfをしていましたし、
引退後パソコンを始めたり、市民講座のデジカメサークルに参加したり,
自分史をまとめたりと、父の好奇心は尽きる事がありませんでした。

又、とてもおしゃれで買い物好きな人したが、
晩年は物に固執することなく、
大好きだった服も自分で買うことはありませんでした。

亡くなる時も入院期間3か月で逝ってしまいましたし、
それまでは私と西宮ガーデンズへも行っていました。

大往生だと思います。


で、ここからが「私の鉄板ネタ 父編」です。

父が亡くなり、宮崎へ納骨に向かう飛行機は
とても空いていて、JALのCAさんのご好意で母の隣の席に
父の遺骨を入れた鞄を置かせてくださいました。

父は旅行会社を経営し、ほぼ毎週宮崎と伊丹を往復していたので、
「飛行機の神様がプレゼントしてくれたんだねー」
なんて、姉と話していました。

けれども・・・そうではなかったようです(^^ゞ

納骨を済ませ、帰りの事です。

その日、私達の搭乗した飛行機は満席で、
母も私も主人も、バラバラの席になりました。

何とか2席だけ並びにならないかと、JALの地上員さんに
お願いしましたが、できませんでした。

まぁ1時間足らずですから、仕方がないとあきらめて、
母をA,B席の通路側B席に座らせて、私はその少し後ろに座りました。

すると、出発時間になっても、母の隣の窓際A席の方はいらっしゃいません。

そして、そのまま飛行機は離陸しました。

CAさんが、私に母の「お隣りへどうぞ」と言って下さいましたが、
そこにはきっと父が座っていたのだと思いましたので、
そのままで帰りました。

JALに貢献した父ですから、きっとこう言っていたのだと思います。

「最後ぐらいタダ乗りでも良いだろう。
 俺も帰るぞ!」
と。


千の風になって】父編でした。



[Vietsub] Sen no Kaze ni Natte 千の風になって (Thành ngàn cơn gió)