with age 92歳の母のぼちぼち介護日記

母の介護を通して、素敵な歳の重ね方を学びます。

第93回センバツ高校野球大会

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Photo By Sponichi Annex

今日は2年ぶりにセンバツ高校野球大会が阪神甲子園球場で開幕しました。

 

コロナ対策のため、入場行進は今日試合のある6校だけで行われました。

他の球児にも行進をさせてあげたかったと思いますが、

それも将来彼らの忘れがたき思い出となることでしょう。

 

我が家は甲子園球場に近く、期間中阪神沿線で多くの高校球児を見かけます。

甲子園に出場する球児達は、皆身体が大きく、真っ黒に日焼けし、

大きなバックを持って電車に乗る姿は、いつ見てもカッコ良いです。

全員のバッグにお揃いの手作りお守りが付いていると、

良いマネージャーさんがいるんだろうなと想像したりします。

 

 

私の高校野球の思い出と言えば、

現巨人軍監督の原辰徳氏と東海大相模原高等学校の監督で

原監督の父、原貢氏とお会いして話した事です。

 

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東海大相模時代の原辰徳氏(左)と 父・原貢監督

 

私の母校は甲子園が近いということで、

私が高校生当時、出場校の練習にグラウンドを貸していました。

 

私は🏀バスケット部のマネージャーで、春夏の休みにはいつも体育館にいました。

体育館には体育教官室があり、体育の先生方は授業以外はいつもそこにいました。

 

春だったか?夏だったか?ある日、

原監督と息子の辰徳親子がグラウンドを借りるお礼にと、

野球⚾️ボールを持ってご挨拶に来られ、丁度入り口にいた私に声を掛けられたのです。

 

ところがその時は、((ー_ー)!!今ではとうてい考えられませんが…)

先生達から「マージャンをするので、誰か来ても『教官室には誰もいない』と言って、

 用件だけを聞いておくように」と言われていたので、

私はどうしたら良いのか分からず、「少しお待ち下さい」と、

原親子に告げ体育館の入り口でお待ち頂いて、

タバコの煙でモクモクの部屋で、マージャンをしていた

野球部顧問の先生にその事を伝えに行きました。

 

その後どうなったか覚えていません。

ただ、ボールの箱を持って立っていた選手がとても爽やかな男子だったことは

覚えていて、後に彼がとても人気のあった原辰徳選手だったのを知った時には、

知っていたら、もう少しお話ができたのにと後悔しました。

 

 

母は、先日新聞📰に入っていた、対戦表の明日出場するふるさと宮崎代表の

宮崎商業学校に赤線を引いて開幕を待っていました。

 

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天理高校が相手なんだ🥺又強い相手ねー」と言っていますが、

明日は必ずTV📺で、宮崎商業を応援しましょうと楽しみにしています。

 

困難な日常を頑張ってきた球児達には、どうか楽しくプレーして、

甲子園でいっばい思い出を作って欲しいと思います。

 

 

 

余談ですが…原監督の事を書いて、もう一つ思い出したことが… ( ..)φメモメモ

 

もうずいぶん昔の事ですが、芦屋には巨人軍が常宿にしている、

【竹園ホテル】があり、母はよくお友達とそこでランチをしていました。

 

その頃、巨人軍には松井選手清原選手が在籍していて、

偶然ホテルで松井選手と遭遇した母は、彼に向かって、

「清原さん、いつも応援しています♪」と言ったらしいです。

すると、松井選手は 「僕は松井です😅」と、優しく答えて下さったそうです。

その話を聞いた私は、

(>_<)反対(清原選手松井選手と間違える)じゃなく良かったと、思ったものでした。