with age 92歳の母のぼちぼち介護日記

母の介護を通して、素敵な歳の重ね方を学びます。

青春時代

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思ひ出の鵜戸旅行

 

今日母の家で、父の自分史の中にファイルされていた、

父の若かれし写真を観ていました。

すると後ろから母が「私のアルバム観る?」と言ってきました。

 

私が「観て欲しい?」と聞き直すと、

 

「観て欲しい」

 

それではと、母のアルバムを2人で観ました。

 

2人兄弟の長男だった父と違って、

7人兄弟の真ん中の母の幼少期の写真はほとんど無く、

女学校時代〜大学時代のものが15枚ほどありました。

その後、いきなり私の七五三の写真でしたから、

その間母は子育てに忙しくて、自分の写真など撮る暇はなかったのでしょう。

ありがとうお母さん。

 

母の女学校の写真です。

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 向かって左が正しい制服で、右が戦時中の制服だそうです。

 

 

      そして、これが👇寮生活時の制服⁉️だそうです。

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向かって左が母です。


 女学校の4年5年生時代、全員宮崎市内の親元を離れ寮生活で、

延岡の旭化成ベンベルグ工場で、

パラシュートの紐をよじって一本にする作業をしていたそうです。

 

朝8時に作業は始まり、お昼に粗末な昼食をとり、すぐ作業再開。

母は肋膜炎の病歴があったため、3時に30分休憩をもらえたそうですが、

健康な人は5時まで休まず作業だったそうです。

そして、夕食後に2時間ほど授業を受けたそうです。

 

 80年程前の話で、戦時下で危険な事もあったでしょう。

母も「あの頃は辛かった」と言っていますが、

全員で鵜戸神宮へ行った写真に「思ひ出の鵜戸旅行」と書かれているのを観ると、

きっと楽しい思い出もあったんだろうなぁと思います。

 

写真の中で私が一番興味を持ったのは、母達の浴衣生地で作った、オーバーオール型モンペ姿です。

全てお手製で各自2枚持っていたそうです。

それぞれに可愛い柄や、少し珍しい柄などが観られ、

女子達の、

「その柄いいわねー😍」

「私もそんなのがよかった😊」

なんて声が聞こえてきそうです。

 

それに、長ズボンタイプのモンペを膝まで上げて着ているのは、

暑かったせいもあるでしょうが、

女子高生のスカートのウエスト部分を折り曲げて着る感覚と同じなのではと、

女子はいつの時代も女子なのだと、ちょっとニンマリしてしまいます。

 母のも、松葉柄ですかねぇ?黒に近い濃紺で自慢だったそうです。

 

たった数枚の写真ですが、

「この人は美人さんで、大分の大富豪にお嫁に行った」とか、

「この人は広島で原爆にあって、左半身大火傷受けたけど、

 そのあと頑張って先生になったのよ」とか。

そして「皆さんどうしてらっしゃるかしらねえ」

母は愛おしそうに写真を眺めていました。

 

今日は母の青春時代を垣間見る事ができて、楽しい昼下がりでした。

 

追記

 

withtheage.hatenablog.com

 

母のアルバムから、この👇写真を見つけました。

 

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黒く塗られたチャペル

 

母の記憶は正しかったようです。