昭年34年と言えば、私は2歳、姉は4歳、母は32歳です。
今から60年前の写真です。
私達が座っている砂浜は、今はもう埋め立てでなくなった芦屋浜です。
芦屋浜は『火垂るの墓』の劇中に出てくる
「西宮の回生病院」のあった、香櫨園浜の西の浜でした。
当時はまだ海水浴や魚釣りができて、
浜から5分ほどのところに住んでいた私達が、
遊ぶと言えば、この浜でした。
私や姉が手にしているパンわかりますか?
蒸しパンですかね?
このパンは・・・
私と近い年代の方には懐かしい、
馬なのに【ロバのパン屋さん】で、母が買ってくれたパンです。
もちろんこの日の事を覚えているわけではありませんが、
私にとっては、楽しみで怖かったという、
ぼんやりとした記憶はあります。
ずっとそう思っているのは、この2枚の写真があるからかも知れません。
母の足にしっかりとしがみついている自分の姿と、
(拡大してみて気がつきました❣️
母の後ろに姉もしがみついているようです)
砂浜で嬉しそうに姉とパンを食べている姿、
それを見つめる母のまなざし、
そしてこの写真を撮ってくれているだろう父の笑顔を想い、
そうだったんだろうと、ずっと思い込んでいるのだろうと思います。
ん?母のまなざし、私達に じゃなくて、
まっすぐ向けられていませんか?
と云うことは・・・お父さんか(>_<)
まぁ、それも素敵な思い出です。
話を【ロバのパン屋さん】に戻します。
当時ここより西の神戸市東灘区に住んでいた主人の所に来ていたのは、
この立派な馬ではなく、ロバにも見えた小さな馬だったそうです。
街を歩いていた馬がたくさんいたんですね。
私達が見ていた【ロバのパン屋さん】も何か音楽を鳴らしていたのですが、
(👆この歌は、主人も私も知ってはいるのですが…)
この歌だったのかどうかは二人とも記憶があいまいです。
【ロバのパン屋さん】をご存知の方の記憶ではどうなんですかねぇ?
今芦屋は『ビゴさん』をはじめ、
休日には300人を超すお客様が来るという『パンタイム』
(300人を超すと聞いたのが、もう何年か前の話なので、今はもっとかもです)
遠くからわざわざ買いに来られる人が溢れる、『ベッカライビオブロート』
全国区になった『乃が美』の食パン、
まだまだ、書ききれないぐらい多くの美味しいパン屋さんがあります。
その原点が、この【ロバのパン屋さん】だったということを
知る人も少なくなりつつあります。
母や私達の大切な思い出です。
追記:芦屋に長く住んでいる人は、
『ビゴ』を『ビゴさん』と呼びます。
1972年芦屋に『ビゴの店』1号店を開いた、
フィリップ・ビゴさんに親しみを込めてこう呼びます。
(2018年9月17日永眠されました)