with age 92歳の母のぼちぼち介護日記

母の介護を通して、素敵な歳の重ね方を学びます。

思ひ出のアルバム

昨日のブログを書くのに、私の幼少期のアルバムを見ていて気付いたことがあります。

私のアルバムは、母や姉の『思ひ出のアルバム』でもあるということです。

 

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昭和三十三年三月三日

 

私の初めてのひな祭りの写真です。もちろん私には記憶はありません。

 

母は30歳です。

大学を中退しなければ会うことのなかった父と

23歳で恋愛結婚して、宮崎から、東京→大阪→芦屋と移り住んで間も無くの写真です。

父も母もとても笑顔で幸せそうで、娘としてはとても嬉しい一枚です。

 

母にこの日の事を聞くと、覚えて無いそうです💦が、

立派な雛壇を買えたことがとても誇らしかったのを覚えていると言います。

このお雛様は、今の家に引っ越す時に処分したようですが、

おだいり様とおひな様は,まだ母の家のどこかで眠っているそうです。

 

 

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母はアルバムに手書きで、思い出を書き込んでくれています。

左から右に読みます。

 

 

昭和36年、私は4歳。姉は6歳です。

私だけを連れて,実家の父親の病気見舞いに宮崎に行き、4泊ほどして、

帰って来た時の電車の中で撮った写真です。
 

母が私の思い出を書いてくれているので、私の嬉しそうな顔が、

久びさ姉に会えたからなのだとよくわかります。

 

何故私だけ連れて行ったのかも母に聞いてみましたが、

どうしてだったかしら・・・?」と、これも覚えてないようです💦💦

で、LINEで姉に聞いてみました。

6歳だった姉は覚えていました。

姉曰く「多分1SHOは飛行機無料の歳だったのと、

    あなたは、ママがいなければ寝れなかったのと、

    すぐ病気になるからママが連れて行ったんだとおもう

 

らしいです(^^;)私、自身の物心ついてからは丈夫で、

インフルエンザも一度もかかったことないほどなんですけどね。

 

続いて姉は「私は、小さい頃から一人でも平気で元気だったから、

      ママは安心していたんだと思う。

      でも、ママと1SHOがいなくて寂しかったのは

      変に覚えているよ

三人兄弟の真ん中の子供ならではの、口にできない寂しさを聞いたようで、

6歳の姉に「寂しかったねぇ。お利口だったね」と言ってあげたいです。

 

 

古い写真を写メして観ると、スマホで拡大できるので、

色々な事が今更ながらに分かって面白いです。ちょっとおすすめです。

見落としていることがありますよ。

昨日の、「ロバのパン屋さん」の写真でも、

母と私だけだと思ったら、拡大すると母のスカートの後ろに

姉が隠れているのが見つかりましたし、

写真を撮っているだろう父に、母が微笑んでいるのも分かりました。

 母は、拡大した写真をみて、姉と自分がよく似ていると笑っていました。

 

では、『思ひ出のアルバム』を見ながら、さっき母が作った川柳をお楽しみ下さい。

 

 お雛様の写真より、 

    いにしえの 床の間かざりの ひなまつり

 

私達姉妹の二人の写真より、

    おさな子の うれしえがおの アンサンブル

 

そして、若い自分の写真を拡大して見つめ、今の自分に、

    しわだらけ 綺麗になれよと パックする

 

 今日はなかなかの出来栄えだと思います(^_-)-☆お粗末様。