with age 92歳の母のぼちぼち介護日記

母の介護を通して、素敵な歳の重ね方を学びます。

😈😈娘の本当の姿は…

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姉3歳 私1歳です。

前回のブログの最後にこう書きました。

明日からワクチン接種済姉が東京から来て、
 GW中1週間ほど母の家で片付けをしてくれる予定です。
 母も😊「明日から楽しみねぇ」と、姉が来るのを楽しみにしています。

 (^_-)ふふふふ。姉も私に負けず劣らず😈残酷娘なんですけどねぇ。
 それでもやっぱり娘は頼りになるでしょう❣お母さん❣


という事で、一昨日姉と母の家の和室を片付けました。

母はリハビリデーサービスを休むと言いましたが、
母がいるとなかなか片付けが進まないので、😈😈姉と2人で出かけるよう促しました。


この和室には、和ダンスと以前父が経営していたお店の業務用の大きな本棚があります。

なんとか本棚だけでも破棄できれば、2人はこの部屋に泊まれると片付け始めました。

捨てる本や雑誌は、マンションに置き場があるので、
150冊ほどすぐに捨てる事ができました。

その後、本棚の上に置いてあったガラスケース2個に入っている人形を
どうしようか2人で考えましたが、私達が幼い頃の物や、
私達や孫達の旅行のお土産品で、私達にとっても思い出深く、
埃を丁寧に拭いて、このケース2個は和ダンス上に移動しました。

本棚の残りは、母の愛読書とアルバムと家計簿になりましたが、
この家計簿の数がとても多く、母は家計簿を日記のように使っていたようで、
備考欄にその日の出来事が書いてあります。
これらはこの先母の回想のキッカケにもなりましょうから
捨てない方が良いということになりました。
ですが、これらを捨てずに移動しようと思うと、
他の部屋に移動せざる負えなくなり、そうなるとその部屋の片づけも
おのずとせざる負えなくなり…"(-""-)""(-""-)"本棚を破棄することを断念しました。

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1995年~2020年の家計簿です。

並べてみますと、26年間分ありました。

家計簿は26年分ですが、母は今も携帯している赤い手帳をこれもずっと残しています。

私は「こんなところを見習わなくちゃねぇ(^▽^;)」といつも思うのですが…

このブログを少しづつでも続けてそうなれればと、今は思っています( ..)φメモメモ


母が帰宅後、本棚の横に積み上げられた、衣装ケースの中の整理をしました。
私達😈😈娘達がパワーアップし👿👿次々とゴミ袋へ入れられていきます。

横で母は😞「私が一人で快適に暮らしているからいいじゃない・・・」と小さくぼやいていました。

ですが、これを見つけて母も気分が良くなったようです。

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長年行方不明だったお雛様です。


姉が生まれた時に、両親が買ったそうなので、60+数年以上経っていますが、
ご覧のようにとても美しいままです。

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男雛と女雛以外は何度かの引っ越し時に処分したようですが、
これらだけはずっと大事に持っていたようです。

母は前から今の家の🙄「どこかにある」とは言っていましたが、
どこにしまったのかは思い出せずにいました。
ですから、これが見つかってとても嬉しそうです。

来年からは、私達のためではなく、母が長生きできるように、
お雛様の時期に飾ろうと思います。


なんとか衣装ケースも破棄できるようになり、和室が片付きました。

そして、母の衣裳部屋⁉のロッカーに姉が作って来てくれたテプラを貼り、
その日のミッションを終えました。

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必要な小物を開けやすいロッカーにまとめました。



古いお雛様の写真の母は、まさか一昨日のような😈😈娘たちに育つとは
思っていなかったでしょうねぇ。

でもね、私が言うのもなんですが・・・(^▽^;)
男子一人しか子供のいない姉と私にとって、母は本当に羨ましいのです。

ちょっと言いすぎでしょうが(^▽^;)

😈😈娘の本当の姿は…👼👼なのです。

自画自賛×2名のブログです。悪しからずご容赦ください<(_ _)><(_ _)>

2021年 晩春の空の下

兵庫県は緊急事態宣言2日目。

いつもは母とお散歩がてら買い物するのですが、
今日は人出の様子も見たかったので、私一人で買い物に出かけました。

母の住む芦屋は、午前中に買い物を済ませようと考える人で、
芦屋大丸やコープ神戸の食料品売り場は、大勢の買い物客が訪れていました。

以前のように、トイレットペーパーやマスクの買い溜めは見られませんが、
やはりいつもよりは、洗濯や台所備品を少し多く買っている人達が見られました。

クリーニング➡母のズボンのすそ直しをリホーム店➡大丸➡成城石井➡コープと、
1時間ほどで回り母の家へ戻りました。


その後、母と巻き寿司とから揚げ、サンドイッチを持ってお散歩ランチに出かけました。

去年の秋に母と行った公園まで450mの道のりを歩きました。


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明らかに去年の秋より歩くスピードが遅くなっています。
通りのお店を見ながらでしたが、私の足で5~6分の距離を20分かかって歩きました。



なんとか無事に公園にたどり着きました。小さな公園で、私達2人の貸し切りです。
消毒をして、使い捨て手袋をして、感染対策ばっちり(^_-)-☆でお昼を食べました。

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少し風がありましたが、絶好のお外ランチ日和です。


公園で30分程過ごして、家に向かって歩き出しました。

母は5分もたたないうちに😷「ちょっと休憩しましょう」と言います。

(+_+)「まだ5分も歩いてないよ!もうちょっと頑張ってよ!」

😷「そーお…足も痛いけど、シルバーカー押してる腕も痛いのよ…
  あなたも私の歳になったら『あーお母さんも同じような事言ってたなぁ』って
  思い出すわよ…」

(;一_一)確かに。きっとそう思い出すでしょう。

そんな会話をしている時、開店したてのパン屋さんを見つけ、
たった今焼きあがった角食を買う事ができて、
2人で「お家に帰って半分こしようね。ちょっと食べようか( ^)o(^ )」なんて話しながら、
その後は母も足や腕の痛さを少し忘れていたようで、スムーズに家に帰り着きました。


3時過ぎ、主人が迎えに来てくれて、👇ここへ向かいました。

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ここで母用に車椅子を借ります。
以前も旅行に行く時に何度か借りたことがあります。

芦屋市民であれば、いつでも2週間借りる事ができます。

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ハンドルと足置き部分が折れるようになっています。

実は明日から、東京の姉が来てくれます。
姉は病院のクラークで、3週間ほど前に既にワクチン接種が終わっています。
接種後少し腕が腫れたようですが、特に異常はなく無事2回の接種を終えたようです。

GW中1週間ほど母の家で片付けをしてくれる予定です。
今日のようなお天気の良い日は、母と姉が少し遠くまでお散歩できればと借りました。

母も😊「明日から楽しみねぇ」と、姉が来るのを楽しみにしています。

(^_-)ふふふふ。姉も私に負けず劣らず😈残酷娘なんですけどねぇ。
それでもやっぱり娘は頼りになるでしょう❣お母さん❣



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大人のぬり絵

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昔孫達が使っていた色鉛筆です。

 

最近の母はよく大人のぬり絵をしています。

 

 

 書店には、認知症予防として沢山の大人のぬり絵が並んでいます。

 

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”かわいい”の原点。内藤ルネさんのぬりえもあります。

 

傾聴ボランティアに伺う有料老人ホームや、老健(介護老人健康施設)では、

ぬり絵を楽しまれていらっしゃる方を時々お見かけします。

ですが、認知症の方のグループホーム🏠では、あまり見かけられません。

 

認知症がすすむと、枠からはみ出さないように色を塗るという動作は

難しくなるようで、(私達は普段それを当たり前のようにしていますが)

脳にとってそれは、とても高度で複雑な伝達作業のようです。

 

 

大半の女性の方は、四季の花々のぬり絵がお好きですが、

母はそれは 🙁「花のは単調で面白くないわ」と言います。

 

まんだらぬり絵の方が面白いと言います。

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🙄「色が重ならないように、尚且つ美しく!」を心がけているそうです。

 

確かに母は散歩をしていても、あまり花に興味を示しません。昔からそうでした(・_・)

 ですのでそんな母に育てられた私は、私が花の名前をあまり知らないのは、

母譲りだとずっと思ってきました。

 

母は幼い頃から、勉強が好きで成績も優秀て、数学教師を目指していた女性です。

 "(-""-)"「なるほどね」と、私はちょっと納得しています。

施設でも、マンダラぬり絵はどちらかと言えば、男性の利用者さんが好みます。

母の脳は、花をめでる事よりも、思考をめぐらす方が好きな脳なのだと思います。

 

 

 

母の家には、こんな塗り絵もあります。

 

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スペイン、マドリッドの『ソフィア王妃芸術センター』で買いました。

 

2017年に主人と行ったスペイン旅行の、母へのお土産のぬり絵です。

(T_T)母にはまだ1枚も塗ってもらえていませんが、

このぬり絵は、別のところでとても役に立ちました。

 

2017年当時私は週に1回、近所のサービス付き高齢者向け住宅の掃除や、

その施設の一角でカフェを運営していた、

就労支援サービスグループのボランティアをしていました。

 

私は、そこに住まわれている高齢の入居者さんと、

支援グループの若者を繋ぐような役割をしていました。

 

そこでは、お茶を飲みながら、ぬり絵や折り紙遊びなどをよくしました。

 

私がそのボランティアを始めて少し経った頃、

Hさんと言う🙍‍♂️一人の青年がグループに入って来ました。

しばらく、彼は無表情でほとんど私語を発することもなく、

なかなか彼と入居者さん達が話す機会はありませんでした。

 

ところが、私が👆このスペインのぬり絵を持った行った日、

Hさんは、そこがスペイン、マドリッドの街並だとすぐわかり、

描かれている『ゲルニカ』がどのようにピカソによって描かれたかの史実や、

他のページの、スペインの建造物の話などをして、皆を驚かせました。

 

彼は世界史が得意だったようで、そこから海外によく行かれていた入居者男性と

よく話をするようになりました。

 

又、とても複雑でなかなか折れないバラの折り紙を、

Hさんはとても上手に折り、そのバラ欲しさに集まる女性入居者さん達から

👩‍🦳🧓👳‍♀️「折り紙の先生」と呼ばれ、引っ張りだこの人気者になりました。

その頃から、彼の顔にも笑顔が見られるようになりました。

 

 

 彼は1年ほど、この支援グループで活動した後、

私立の男子校の社会の非常勤講師になり、グループから巣立って行きました。

 

何故あんなに優秀なHさんが、それまで社会になじめず苦しんでいたのか、

詳しいことは分かりませんが、あの就労支援プログラムで

入居者さん達と触れ合う事で、人に尊敬され喜ばれることで、

生きていく活力を取り戻したんだと思います。

 

 

今日は、母の日課ぬり絵から、Hさんの事を思い出しました。

あれから4年が過ぎました。彼が人の心の痛みの分かる

素敵な教師になってくれていると良いなぁと思った1日でした。

 

 

 

名簿作りと一人暮らしの高齢者

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我が家の小さな花壇のジャスミンが咲き始めました。

 

前回の投稿から、早一週間経ってしまいました(^▽^;)

 

その間何をしていたかというと、傾聴ボランティアの名簿作りに手間取っていました。

 

ボランティア自体はお休みなのですが、毎年ボランティア母体であるコープ神戸に

登録のために名簿を作成して、提出しなければなりません。

 

😒「そんな事、簡単なのでは⁉」と、お思いでしょうが、

本来なら対面でできる事も、電話でとなると本当に大変です。

 私達は80代70代のメンバーが多いので、それをまとめるのは時間がかかるのです。

 

皆さんスマホはお持ちなのですが、初期設定等ほぼ子供さんがされていて、

ご自分のメールアドレスをご存知なかったりします(^_^;)

 

教えて頂けても、何故かメールが送れず(?_?)

よく観るとアンダーバーだったり、ご本人がご存知ないことも多々あります(◎_◎;)

 

その上、もっと楽に連絡ができるように、

今回はLINEグループを作ろうと思ったのですが…これまた難関(◎_◎;)

 

対面なら、バーコードを読んで私が皆さんのスマホを操作すれば良いのですが、

それはかないません。

携帯番号でなんとかと思うのですが、ご家族が電話番号では検索出来ないように

設定されている方も多く、最悪お嬢さんとのやりとりになることもありました。

 

「LINEグループは辞めておけば良かった…( ..)φ」と少し後悔しましたが、

時間はかかりましたが、なんとか11人中9人のメンバーの

ライングループが出来上がりました\(^o^)/

 

出来たグループトークで、道端の花の写真や気になった事を書き込んで

気軽に交流されるのを観ると、頑張って良かったと思います。

 

もうお一人暮らしの方も数名いらっしゃいますので、

人と繋がっていることの実感はとても大切だと思います。

 

 

長いコロナ禍の中、最近以前ボランティアで知り合った方から、

時々お電話が掛かって来ます。

 

取り立ててご用事があるわけではないようですが、

彼女も70代後半のお一人暮らしの方で、おしゃべり相手が欲しいのでしょう。

 

会話の時々に、👩‍🦳「今大丈夫なの?」「もう切った方が良いかしら?」と、

何度も尋ねられます。

 

本当は晩御飯の片付けもしたいし、ブログも読みたかったりするときもあるのですが、

電話の向こうでお一人でお寂しい思いをされていて、

ほんのちょっとの知り合いでしかない私を頼って下さっているかと思うと、

こちらから切る事などできません。

 

旦那様にコーヒー☕を淹れてもらって、どっぷりと彼女との会話に浸ります。

 

長い時は、1時間近く話す時もありますが、

👩‍🦳「あなたと話すと、なんだか元気になるわ」と言って頂くと、

こちらが有り難くなります。

 

母はと言えば、今月やっと始まったシルバー人材センターの講座が、

今週からお休みになりました。楽しく受けさせて頂いたのに残念です。

 

又私と2人のぼちぼち毎日が始まっています。

 

大阪、兵庫や京都は、近日中に緊急事態宣言もされそうで、

今よりもっと高齢者には、窮屈な寂しい時間が続きそうです。

今はただ、母達高齢者のワクチン接種が早く始まることを願うばかりです。

 

 

 

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今日は冷凍庫・冷蔵庫の在庫メニューです。

2日分です。サバの梅煮、カツオのたたき、ポテトサラダ、

牛肉のオイスターソース炒め、平天、ほうれん草のお浸しです。

 

冷凍庫の備蓄品の保存期間が長くなってきたので、

鯖の切り身、カツオのたたき、牛肉、平天を使い一掃しました。

新玉ねぎがあったので、カツオの薬味と新じゃがのポテトサラダに使いました。

回想法とグリーンジャケット

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芦屋市シルバー人材センター内で月1回行われます。


今日は、母の先週の『はつらつ憩いサロン』に続き、
『たのしい回想法』講座の日でした。


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先週と同じように行きはタクシーで、はつらつ館へ向かいました。

母を迎えて下さったのは、以前私がここで受けた『傾聴講座』の講師Iさんでした。

参加者は母を含めて5名。男性2名女性3名と、お世話役はIさんを含め2名でした。

私も回想法を勉強したことがありますが、限られた時間内に、
全員が平等に話す時間を持つには、ちょうど5~6人がいい人数です。

本来は、この人数のグループがいくつかできるのですが、
コロナ禍の中、1グループしか受け付けていないようです。


はつらつ館へ行く道すがら、母に「お世話役の方達知ってる方ばかりだから、
 娘にいじめられていますとか言わないでよ(^▽^;)」

と念押ししておきましたので、部屋入り受付をしているとき、
Iさんに👩‍🦱「お優しいお嬢さんがいてお幸せですね」と言って頂いたのに、
母は😊「ええ。いつも世話をかけてばかりいます」と、
ちゃんと打ち合わせ通りに応えてくれていました(^_-)-☆


母をIさん達にお願いして、私は街をぶらぶらして5500歩歩きました。
なかなかこの時間は私にとっても有意義な時間でした。


11時半に母を迎えに行き、感染対策で開けられて扉から漏れ聞こえてくる話を聴くと、
母は他の参加者の方に補聴器をお薦めしていました。

(ほーら良かった(*^^)vやっぱり新調して、
 今まで慣れるために練習してきた甲斐があったでしょ!)

私は扉の後ろでほくそ笑んでいました。

帰り道母に今日の感想を聞きますと、
参加男性のお一人が宮崎に住まわれた時期があったようで、
(私には分からないのですが)宮崎市にある平和公園の塔
『八鉱一宇』の話をして懐かしかったようです。


家に帰ってからも、平和公園から思い出したようで、
女学校時代そこへ遠足へ行った時の話をし始めました。

「お母さんは麦飯のお弁当だったのに、
 大通りにあった『堺薬局』のお嬢さんのお弁当は真っ白な白米だったのよ。
 立派なお家だったからね~あの人はどこのお嫁に行ったんだっけ🙄」

何となくその記憶が母の脳に深く眠っていた理由が分かる気がします。
その時代は戦争中で、白米なんてなかなか口には入らなかったでしょうし、
女学生と言えども食べ盛りの話ですものね。

やはり回想法の講座に参加した良かったようです。
少しは母の脳の活性化に繋がったと思います。



ところで、⛳やりましたね!

松山英樹選手の日本人初のメジャー制覇!

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マスターズの優勝者に贈られる「グリーンジャケット」
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ギャラリーのスタンディングオベーションで迎えられました。


我が家の⛳ゴルフ好き旦那様も色々語っています(^_^;)
日本ゴルフ界の悲願でしたものね。
解説者やワイドショーでコメントする、往年の選手たちが
涙ながらに語る姿を見ると、本当に優勝してくれて良かったと思います。

又、世界各地でアジア系住民に対するにヘイトクライムが急増している中、
彼の優勝を下記のようにアメリカ人が讃えてくれることに対して、
私は、そうであって欲しいと願います。


(ニューヨークのゴルフファンたちの声)

「彼の今日のプレーは素晴らしかった。最高のプレーヤーだった」
「(Q.誰が優勝したか知っている?)もちろん。ヒデキ・マツヤマだ。素晴らしいパフォーマンスだった。

「彼が大きな舞台でグリーンジャケットを受け取る様子を見て
ヘイトクライムを抱える)米国が、そして、世界が前進したらいいなと思う」

ニューヨーク・タイムズ
「アジアの人などを標的とした人種差別的な暴力が問題となる中での快挙だった」
などと報じています



将来、⛳ゴルフ好きの方が、今日の母のように回想法講座に参加する機会があれば、
昨日その人の脳にスクリーンショットされた、松山選手のグリーンジャケット姿の記憶が、
呼び起こされることでしょう。

宮崎産の果物

満開だった芦屋川の桜も今はほとんど散ってしまいました。

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満開から1週間後です。


 温かい日が続いた後、少し肌寒い日が戻って来ていますね。

冬のアウターをまだクリーニングの出さなくて良かったと思っています。

 

 

今日は、母のふるさと宮崎の果物の話を少ししたいと思います。

 

宮崎は2007年に東国原英夫さんが宮崎県知事に就任され、

彼の功績で全国区になった果物が2つあります。

🥭マンゴーと、金柑です。その果物にまつわるお話をしたいと思います。

 

 

まず、🥭マンゴーの話から…

かつて毎年両親の家に、宮崎の伯父からお中元に

マンゴーが送られて来ていたのですが、東国原さんが売り込んでくれたお陰で、

宮崎マンゴーは有名になりブランド化され、値段が急に高騰しました。

 

その為、それまでは伯父から🥭🥭2個送られて来ていたのが、

🥭一個しか送られて来なくなりました。

一つではなかなか我が家にはお裾分けが無くなり、

送られて来た時偶然そこに居合わせないと、(;O;)私達の口に入らなくなりました。

 

今は父も亡くなり、その伯父も亡くなり、

もう🥭マンゴーが宮崎から送られてくる事はなくなりました。

最近はマンゴーも少し安くなり、沖縄や石垣島のマンゴーも大変美味しく、

夏になると、たまにマンゴーを買って食べるようになりました。

 

 

次は金柑の話です。

 宮崎に今も残る父の生家の庭には、

以前そこを管理していて下さった、おばさんが育てていた金柑の木がありました。

 

その木は毎年立派に実をつけて、私達が夏に遊びに行くと、

おばさんは、袋一杯の金柑を持って来て、そのまま食べるように勧めてくれました。

 

本当は生で食べる習慣のなかった私達はちょっと苦手でしたが、

嬉しそうに持ってくるおばさんにそれが言えず、仕方なく口に入れていました。

そして、おばさんは金柑のジャムを作っては両親の家に送ってくれていました。

 

ところが、これも東国原さんのお陰で、『完熟きんかん(たまたま)』として、

ブランド化され、高級品になってしまいました。

その頃からおばさんは盗まれまいと、木に網を掛けて大事に育てるようになりました。

母の家にも、あまり金柑シャムが送られてくることが無くなりました(^▽^;)

 

このおばさんも母より年上でしたから、私達が宮崎に行っても

最近は姿を見ることがなくなり、どうしていらっしゃるかわかりません。

金柑の木も今はありません。

 

 

今日のブログを宮崎のフルーツの思い出にしたのは、

今晩のサラダに、これも宮崎の果物、日向夏を使ったからです。

 

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最近はどこででも売られていますが、私の子供の頃は近所では見かけませんでした。

 

父はこれが好きで、仕事で行く宮崎空港で良く買って帰って来ていました。

父は苺のように、お砂糖をかけて食べていました。

 

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リンゴを剥く要領で外皮をうすくむきます。

 

私はサラダに入れるのが好きで、特に新玉ねぎに合わせて食べます。

 

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オリーブオイル+少しお醤油で食べます。

私が日向夏を剥いている横で、

😋「懐かしいわねぇ。昔よく食べたわねぇ」と母は言います。

私が「小さい頃から食べてたの?」と聞くと、

🙄「そうよ、7人兄弟だったから、食事を作るのが大変だったのよ」

"(-""-)"「お母さんが作ってたんじゃないんでしょ⁉」

😐「まあ…そうだけどね…」

 

と、こんな訳の分からない事を言っている母の方を見ると、

剥いてお皿に乗せている日向夏にフォークを突き刺して口に運んでいます。

 

(; ・`д・´)「もう!まだ食べないでよ!」と私がおこると、

🤗「美味しそうだから、ちょっとお味見」と、いつものセリフ。

 

「昔から食べてるのだから、お味はご存じなのでは…」(+_+)

 

 

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今日の晩御飯今日のです。

コノシロはキュウリと酢の物にしようと思いましたが、

母がこのまま食べたいと言うので、お皿に並べました。

 

豚のしょうが焼きに、ナス、ズッキーニ、ブラウンマッシュルームともやし。

 

少し数の減った(数個はすでに母のお腹の中)日向夏のサラダです。

 

 

🎒ピカピカの一年生

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神戸メリケンパークにて

 

今日は2021年4月9日です。

私達夫婦のアイドル、Mちゃんの小学校入学式です。

青空が広がり、ピカピカのランドセルを背負い、良い入学式を迎えたようです。

 

祝電を打とうと思いましたが、主人がMちゃんとスイーツが食べたいと言いますので、

 午後からオヤツを食べに行って、写真を一緒に撮ってもらおうと呼び出しました。

 

以前も行ってMちゃんに大好評だった、

神戸元町、フルーツ専門店「ベニマン」に行きました。

 

www.beniman.com

 

 

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4人でこんなに食べました。

Mちゃんは、ベニマンで食べることを楽しみに、

お昼ご飯はキュウリをかじっただけで済ませたそうです。 

 

なんと❣フルーツサンド4切れ、パフェ1つまるまるとワッフル4分の1も食べました。

 

私達とMちゃんママも、フルーツサンド1切れとそれぞれパフェ1個、

旦那様は+ワッフル4分の3食べました( ^)o(^ )( ^)o(^ )( ^)o(^ )

 

その後、メリケンパークで写真を撮ろうと向かいました。

 

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ピカピカの1年生です。

メリケンパークはポートタワーが有名ですが、

2017年4月にリニューアル時に設置された『BE KOBE』という文字のモニュメントが

人気の写真スポットになりました。

 

兵庫県まん延防止等重点措置が適用されているからでしょうか、

今日はさほどではありませんでしたが、平時はいつも写真を撮る行列ができています。

 

とは言え外という事もあり、人出はそこそこあるように思います。

ランドセル姿を撮る家族も何組か見かけました。考える事は皆同じのようです。

 

 7年前の12月24日のイブの日に生まれたMちゃんも早小学生です。

とても可愛く、活発で優しいお嬢さんに育っています。

これからの小学校生活でどんな風に成長するのか、とても楽しみです。

 

私達夫婦は、小中高と地元で育ったので今でも声を掛ければ、

すぐに集まる小学校時代の友人がいます。

 

コロナ禍で恒例の食事会は難しいですが、

ライングループでお互いの近況を伝え合っています。

その存在は不思議なもので、小学生時代を知っていると、

それぞれの、その後の人生より、小学生時代の関係性が優先します。

それにこの歳になると、同じエピソードで毎回話が盛り上がります。

 

Mちゃんにもそんな一生付き合っていけるお友達に巡り会って、

今日からの6年間を楽しく過ごして欲しいと思います。